宇宙から来た人工衛星(『UFOS & SPACE』77年10月号)




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投稿者 SP' 日時 2001 年 11 月 29 日 07:56:09:

 =地球軌道を回る未確認物体出現の謎=
ハリー・ヘルムス・ジュニア 

●科学観測衛星エクスプローラーは1号から34号まで打ち上げられた。ところが、そのうち5基の衛星が、軌道に乗った直後、なんの痕跡も残さずに消滅したのである。“ブラック・ナイト(黒い騎士)”と呼ばれる奇妙な天体に捕らえられたのではなかろうか……!

 1975年12月4日、オランダ、ディンガルーにある電波天文台の観測員たちは、射手座の内部に奇妙な物体を発見して驚いた。その小さな物体は、電波エネルギーを放出しながら、秒速872キロメートルで地球に近づいていたのである。
 遠距離にあるあらゆる物体が地球から遠ざかりつつある、という事実から考えると、これは非常におかしなことである。
 しかし、この不思議な物体については、西ドイツ、エッフェルズベルクの電波天文台でも確認された。パロマーの国立地理学研究所天体測量部が撮影した天体写真には、この未知の電波発生源に該当する物体は写っていない。
 確かに奇妙ではあるが、前例がないわけではない。1969年の暮、サンディエゴのカリフォルニア大学の天文学者たちは、おとめ座にこれと似たような物体があり、秒速1254キロメートルで地球に近づいていることをつきとめている。これもやはり、光は見えないが強い電波を放出しているために発見されたのである。
 不思議な物体は地球の軌道上にも突如として現れる。アメリカ航空宇宙局(NASA)は「人工衛星現況報告」という資料を公けにしているが、この中には地球の軌道を回るあらゆる衛星がリストアップされており、燃えつきたロケットの補助推進装置、打ち上げに失敗したロケットの残がい、宇宙飛行士が軌道飛行中に残していった廃物の類まで含まれている。これらはすべて飛行状態を追跡することができるのである。
 同報告に記載された物体にはすべてカタログ・ナンバーがつけられているが、興味深いことに“物体2428、2429、2430”は“未知の経路より侵入”となっているのである。
 奇妙な物体はこの3つだけではない。“ブラック・ナイト(黒い騎士)”といえば、漫画のスーパーヒーローのように聞こえるが、決してそうではなく、1960年1月4日に北極を通過する軌道で発見されたのである。この物体は電波をまったく出していない暗黒の物体であることが分かっている。その重量は約15トンと計算されている!
 これはアメリカ空軍が1960年2月に作成したブルーブック計画ファイルの中にも単に“ユニバース”として記録されている。
 その後、この“ブラック・ナイト”はほぼ同じ大きさの2つの物体であり両方とも極地軌道を回っていることが判明した。アメリカはこれらの物体を打ち上げてはいないし、ソ連も、またそのほかの国々も同様である。
 軌道上を回るこれら5つの不思議な物体に加えて、地上から打ち上げた人工衛星にも奇妙な出来事が起きている。一連のエクスプローラー計画では、合計34個の人工衛星が打ち上げられた。2つは軌道に乗せることに失敗し、1つは月に向かう予定だったが、速度誤差で目標から外れた。残るエクスプローラーのうち、どういうわけか10号、14号、15号、18号、26号の5つについては、地上からの追跡が出来なくなったのである。
 これらの人工衛星の軌道高度、周回所要時間、軌道と赤道との傾斜角──すべては正確に計算されていた。にもかかわらず、“未知の”状態に陥って、地上の追跡システムから姿を消したのだ。このように突如として姿を消した人工衛星はほかにもある。
 そしてさらにおかしいことに、人工衛星と同じ軌道に“未確認物体”が現れることもあるのだ。1965年にアメリカが衛星を打ち上げたときには、同じ軌道上に少なくとも382個の未確認物体が出現した。

 ■宇宙大脱出の可能性

 地球の周辺では、過去幾世紀にもわたって、文字通り何千もの未知の物体が観測されてきた。これらの物体が惑星や流星でもなければ、そのほかの自然現象でもないとすると、いったい何であろうか。
 UFO現象に関心をもっている人ならだれでも“母船”の概念をよく知っているだろう。一般には、葉巻型をした物体で小型の円盤型物体を発着させる、というような説明がなされている。UFOは内惑星系から飛来するという説の支持者にとって、この母船は極めて重大な役割を帯びている。ある人々によれば、遠い世界から小型円盤を地球に運んで来るのはこの母船である。
 もしUFOが実際に内惑星系から飛来しているとすると、ここ30年間のぼう大なUFO目撃報告は、宇宙の広大な空間において大脱出が起きている可能性を示すものだ。当然、我々は地球周辺の空間で相当数の未知の、不思議な物体を発見することになるだろう。我々は失望することはない。少なからぬ天体の異変が起きているのである。
 天文学は18世紀と19世紀の観測装置と観測技術の進歩にともない科学として花開いた。そして天体の系統的研究が始まった。これまでに発見された大半の物体は惑星、小惑星、彗星、流星等に分類されてきた。
 だが、従来の分類に入れられないものも数多くあり、そのような物体は今日もなお発見が続いている。これらは謎の物体として、大半が専門の天文学者から報告されている。アマチュア天文家は拒絶を恐れて観測結果を報告したがらないからである。

 ■太陽面を通過する物体

 謎の物体の中でも、太陽面を横切る未確認物体はこれまでたびたび観測されている。天体異変観測のパイオニアであるチャールズ・フォートは太陽面を通過する奇妙な物体の目撃報告を数多く発掘してきた。例えば、1818年1月6日、イギリス、イプスウィッチで、未知の物体が太陽面を3時間半かかって横切るのが観測された。1819年6月26日には、同じように太陽面を横切った5個の物体が報告されている。フォートの調査によれば、1826年から1865年の間にイギリスだけでこのような未確認物体の報告は22にのぼるのである。
 月にもまた謎が見られる。『フランス天文学会会報』によると、1917年8月29日、明るい白色の物体が月表面を横切った。これと似たような報告が『天体記録』にも載っている。1874年4月24日、現在のチェコのプラハにあった天文台のシャハリク教授が月面をゆっくり通過した白色の物体を観測したというものである。
 月に関する謎の中でもおそらくもっとも壮大なものは、1912年のアメリカの天文学者F・B・ハリスの観測だろう。彼は直径約80キロメートルという巨大な黒い物体が月表面を通過するところを観測したが、その物体は月面に非常に接近しており、月面上に影が映ったというのである。
 どういうわけか、我々はバルカンとニースを見失ってしまった。バルカンは、太陽と水星の間を公転していた惑星につけられた名称であり、ニースは金星の月につけられた名称であった。バルカンは19世紀に発見され、その存在は科学的事実として承認されていた。ニースは18世紀に発見され、同様の扱いをうけていた。
 今日、我々は昔の古い天体異変を掘りおこして、見失われた物体を追及しなければならない。かつて、天文学者によって繰り返し報告された物体が存在しないとなると、これらの物体に何が起こったのか、もし惑星でなかったとしたら、いったい何であったのか、という疑問が当然おきてくるのである。

 ■ルベリエの予測

 ジャック・バレーは著書『現象の解剖』の中でバルカンについて非常に興味深い話を書いている。天文学者たちは太陽と水星の間を公転する惑星を探索していた、というものである。要約してみよう。
 1878年までには、それまで知られていた太陽系内の惑星の公転周期は水星を除いてすべて正確に計算されていた。しかし、水星は不規則に公転し、予断を許さなかった。
 パリ天文台の台長ルベリエは、以前、天王星についても同じ問題に直面したことがあった。天王星も不規則な動きをしていたのである。ルベリエは当時知られていた天体構造の法則を使って計算し、天王星の不規則な運動は天王星の裏側にある別の惑星の影響によるものだ、と考えた。しかし、当時その惑星は発見されていなかった。
 ルベリエが未知の惑星の公転軌道を計算すると、多くの望遠鏡はその方向に向けられ、ついに海王星が発見されたのである。
 ルベリエは、太陽と水星の間にも別の惑星が存在すると予言した。世界中がその新惑星の発見に集中した。
 1878年7月29日の日食の際、アン・アーバー天文台のジェームズ・ワトソン教授がその新しい“惑星”を観測した。彼はワイオミングで日食を観測していたが、途中で太陽の南西2・5度の位置に4等星程度の明るさをもつ小さな赤色の円盤状物体を発見したのである。この物体は、コロラド州デンバーで日食を観測していたアマチュアのルイス・スウィフトも観測しており、彼の記述はワトソンのものとほぼ完全に一致していた。
 ワトソン教授は20以上の小惑星の発見者であり、また有名な天文学の本の著者でもある。彼の評判にスウィフトの確認が加わり、新しい惑星の存在は科学界に受け入れられたのである。

 ■金星の衛星ニースのゆくえ

 しかし、間もなく問題がおきた。太陽面の予想された軌道上をバルカンは通過しなかったのだ。日食のたびにさらに観測は繰り返されたが、バルカンを追跡することはできなかった。学説は変えられ、太陽と水星の間にあるのは一個の惑星ではなく、一群の小惑星かもしれない、ということになった。
 しかし、1910年にアルバート・アインシュタインが一般相対性理論を発表し、太陽と水星の間に未知の惑星が存在しなくても水星の不規則な運動は成り立つことを説明した。
 にもかかわらず、日食になると未知の物体は何度となく観測された。
 1970年3月の皆既日食の途中、ニューヨーク州オークデール、ダウリング大学のヘンリー・カーテンは太陽の近くにおびただしい数の物体を発見した。同じ報告はバージニアとノースカロライナの皆既日食通過線の観測者たちからも寄せられた。カーテンは、太陽と水星の間には直径120キロから800キロの小惑星状の物体が存在し、同じ空間にはほかにも小さな物体の存在する可能性がある、と考えている。だが、バルカン観測者が実際に見たものに対する疑問は残る。バルカンはどこへ行ってしまったのか。
 一方、ニースは金星の衛星につけられた名前で、18世紀には世界各地から報告が寄せられた。近年、この衛星に関しては『空と天体望遠鏡』誌の1954年8月号がとりあげたのみである。
 当時の望遠鏡で見たニースは円盤状をしており、金星自体と同じような位相を示したという。土星の環を観測した有名な天文学者カッシーニもニースについて報告している。また、これも有名なイギリス学士院会員の天文学者ジェームズ・ショートも1740年10月23日にニース目撃を報告している。この時には、2台の望遠鏡を使用して光学的な錯覚と衛星とを見誤らないよう配慮された。
 しかし、ニースに関して語られたことといえば、観測者が人をかついだのだとか、当時まだ未発見だった海王星を見たのだとか、あるいは光学レンズの錯覚だ、というものであった。一時的にそこに出現した衛星であったかもしれない、という可能性については考えられもしなかった。
 もし、UFOが別の天体から来るとすると、種々の宇宙船を運ぶために大型の母船が必要となろう。これまでいろいろなかたちで観測された謎の物体は、宇宙のはるかかなたから探険隊を運ぶために必要な巨大宇宙船だったのかもしれないのだ。

 ■“新しい月”を探した1954年

 1954年、アメリカの科学者たちは地球か月を回る新たな衛星の探査に関心をもち始めていた。その年1月14日の新聞は、冥王星の発見者クライド・トンボー博士が、高度1万6千キロ〜38万キロで地球を回る一群の小型の月を探している、と報じた。博士は、16万キロの距離から12メートルの物体が見えるという新型のシュミット望遠鏡を使用していた。
 この探査にはアメリカ陸軍も関心をもっていたといわれている。そのような“月”が発見されれば、宇宙ステーションの建設費計算に役立つと考えられたためである。1954年頃の話であるから、今の水準から考えるとおかしなことだが。
 1954年4月3日には、ニューメキシコ大学の隕石研究の専門家リンカーン・ラパス博士の予測が新聞に載った。それは、速度が速過ぎてこれまで写真撮影できなかった月の衛星2つが発見されるであろう、というものだった。
 新聞はラパス博士の予測の解説や、彼が何を根拠にしてそのような物体の存在に気づいたのかについては触れていない。また、そのような物体の調査結果も発表されなかった。
 もっとも驚くべき事件は1954年5月24日、ニューメキシコ州ホワイトサンズでおきた。その土地を調査していた政府の天文学者たちが地球を回る2個の人工衛星を探すよう指示された、と報じられたのだ。
 ソ連が当時そのような人工衛星を打ち上げたとは考えられなかった。もし、アメリカもソ連もこの物体に関係していないとしたら、なぜそのような指示が出されたのか。科学者たちは隕石などの自然物を誤って追跡していたのであろうか。実際に2個の人工物体、地球外から侵入した物体が地球を回っていたのではなかろうか。
 これらの“小さな月”の探査が1954年に集中的に行われたということは考えさせられる点が非常に多い。第二次世界大戦の後、空中あるいは大気圏外の物体を追跡することが非常に重要になった。大陸間弾道弾の時代が精緻な新型レーダー、電子機器の開発を要求し、これらはまた、従来発見できなかった物体を見つけ出すことにもなったのである。1954年に集中した“新しい月”の追跡努力は、宇宙に何らかの未確認物体を発見した結果ではなかったのだろうか。

 ■宇宙に消えた電波源

 1958年10月、ケープ・ケネディ(当時はケープ・カナベラルといった)の空間追跡システムが20メガヘルツ付近の電波信号を受信し始めた。20メガヘルツはソ連が人工衛星に使用する波長である。信号はしばらく継続したため、ほかの追跡ステーションや監視所でも通報を受けて活動を始めた。
 電波追跡とドップラー変換の方法を用いて、信号を発信している物体は地球から約5千キロの距離にあり、時速1万4千キロ以上で移動中であることがつきとめられた。そして、月に向かうコースをとっているとみられた。
 確かに、その1年余り前に最初の人工衛星を打ち上げていたソ連が、月への壮大な飛行計画を決定していたであろうことは明らかであった。
 しかし、観測陣を惑わせたのは、その速度が明らかに変化していることだった。ソ連が、月への飛行中に何の意味もない速度変化をする宇宙探査機を設計するとはまったく考えられなかった。
 その上、情報当局がソ連は最近ロケット打ち上げを行っていないと報告したため、事は一層困惑したものとなった。
 最初の受信後、信号は徐々に弱まり、最後には方向も月から外れてはるかな宇宙へ向かったとみられた。いったいあれが何であったのかは未だに分かっていない。しかし、確かに存在したのである。
 未確認の電波信号はほかにも数多く地球で受信されている。これはUFO研究者にはよく知られている事件であるが、1953年9月14日、午後3時半頃、イギリスのテレビにテキサス州ヒューストンのKLEEテレビが受信されたことがある。ロンドンのチャールズ・ブレートリーが同テレビ局の確認カードと呼出し符号の信号電波に気づき、間もなくBBC放送とアトランティック・エレクトロニック社の技師もこれを観測した。ほかにも、イギリス全土で多数の人々が奇妙な放送に気づいた。
 そしてKLEEテレビ局に確認した結果が、驚くべき衝撃をひきおこすことになった。テキサス州には確かにKLEEというテレビ局があった。しかし、同局は1950年8月に呼び出し符号(コールサイン)をKPRC―TVと変更していたのだ。奇怪な受信があった日より3年以上も前に!

 ■だれがテレビ電波を中継したのか

 KPRC―TVの主任技師ポール・ハーンドーフはこの出来事の説明を求められて途方に暮れた。しかし、BBC放送のある技師は次のように話している。
「この出来事は従来のテレビ通信に関する我々の知識と矛盾している。放送された電波がそのような長い期間にわたって地球の周囲を回っていたとは考えられない。また、遠い宇宙のどこかの天体に電波が当たり、反射して地球まで戻ってくるということも実際上ありえない。ただ、ひとつの可能性は考えられる。つまり、これらの電波が何らかの目的をもって、未知の存在から知的な方法で我々に中継されたということである」
 ここで見落とされやすい重要な点は、イギリスではアメリカと異なるテレビ電波、中継方法を採用しているということだ。つまり、イギリスの2チャンネルはアメリカの2チャンネルとは違うし、アメリカのテレビ電波はイギリスのテレビには映らないのだ。したがって、この中継放送を行った者は、電波を変換する能力をもっていた。そればかりでなく、両者の違いを知っていた、ということになる。
 だが、この“KLEE事件”はそれほど珍しい現象ではない。1928年以来、世界各国の無線技師が“長時間遅延エコー”(LDE)と呼ばれる現象を経験している。放送された音声が2秒から30秒も経過してから受信されるのである。送信局も受信局もこのようなエコーに気づいている。
 ラジオ電波は光と同じ速度(毎秒30万キロメートル)で移動する。地球を一周するのに7分の1秒しかかからない。電波は地球を回るうちに急速に弱まるから、何秒間も回り続けるということはないのである。
 カリフォルニア州サンホセのハムラジオ局W6OLは典型的なLDE経験を報告している。
「私が波長を合わせていると、だれかと交信中のソ連人の声が聞こえてきました。彼の交信にいくらか妨害電波が入りました。しかし、録音はかなりうまくいったのです。彼は交信を終えました。そのとき、私は妨害電波が彼の声のエコーであることに気づいたのです。私は彼の交信の最後の部分をもう一度録音していたのです」
 この現象は科学者の興味をひいた。1969年5月号の『QST』誌(ハム愛好家向け雑誌)は読者に対し、LDEの経験をスタンフォード大学電波科学研究所に報告するよう呼びかけた。
 1971年、同研究所のO・G・ヴィラードと同大学電気技術科のA・C・フレーズスミスおよびR・P・カッサムの作成した報告書が公表された。報告書によると、遠距離用の送信機とアンテナを使用している局からのLDE報告が多いことが分かった。
 また、日に1〜2時間程度の交信をする平均的なハム愛好者の場合、年に1度位の割合でLDEを経験していることも分かった。
 一般に考えられるように、中にはウソの報告やかん違いもあったかも知れないが、大半は正しい報告であったことが判明している。
 LDE現象を自然現象として説明する試みは成果を得られなかった。そこで報告書の作成者たちは無人探査機が他の惑星から生命の存在を求めて太陽系内に送りこまれている、という可能性を慎重に調査した。生命存在の兆候のひとつが電波である。電波の存在が確認されれば、探査機はそれに反応するように作られているだろう。しかし、どのような通信方法が行われているか前もって分かってはいないであろうから、探査機は受信した電波の一部を送り返すことによってその存在を地球人に知らせようとするだろう。
 空想的に過ぎるだろうか? そうかも知れない。しかし、アメリカの一流大学に関係しているこれら3人の学者は、この考えについて次のように述べている。
「率直なところ、LDEに関する最終的な説明は意外につまらないものになるかもしれない。だが、現時点においては、多少の弱点はあるものの、宇宙探査機説はほかのいかなる仮説にも劣らず見込みのあるものだ」

 ■北極軌道を回る“ブラック・ナイト”

“ブラック・ナイト”のニュースが最初に公表されたのは1960年2月であり、アメリカ国防省はソ連のスパイ衛星だと考えた。しかし、情報当局も米軍も確認はできず、最終的には、これは補助ロケットの最終段が北極軌道にのったのだ、という意見になった。
 だが“ブラック・ナイト”の推定重量15トンに匹敵するほど重い補助ロケット最終段はないし、またアメリカの追跡システムを完全に逃れた同重量の第2段補助ロケットが北極軌道に乗ったのだ、などと考えることはおよそ困難だ。
 今日にいたるまで“ブラック・ナイト”の肝心な点はベールに包まれているのである。
 謎の物体は2428、2429、2430も1960年中頃、軌道上に現れたが、これらは“ブラック・ナイト”とは別のものである。3個ともほとんど同じ頃に出現したためNASAは連続番号を付けたが、地球の引力によって捕らえられた隕石でも、またそのほかの宇宙の破片でもない。
 地球を回る軌道速度は毎時2万9千キロメートルだが、3つの物体が連続的に地球軌道に捕らえられるため適切な速度と角度をとる可能性は、いかなる“隕石捕足”の理論をもってしても見込み薄である。

 ■宇宙飛行士ゴードン・クーパーの目撃

 不思議な物体はまた人工衛星の軌道にもしばしば現れる。ウィリー・レイはその著書『宇宙の出来事』の中でこれらの物体について「多数の打ち上げにより、公式には発表されていない爆発が起こり、そのため数多くの小さな軌道飛行物体が生み出された」と説明している。爆発とは何のことであり、そこから何が吹きとばされたかについてはまったく明確にされていない。
 はっきりしていることは、人工衛星と同じ軌道で多数の未知の物体が追跡されたということである。たとえば、1961年6月29日、トランジット4AとインジュンSR―3という2つの人工衛星が同じ補助ロケットで打ち上げられた。その軌道には215以上の未確認物体が追跡ステイションにより発見された。
 1965年10月15日に米軍が打ち上げた1965―82Aの場合は、同じ軌道に382個の物体が現れた。
 ソ連も同じような現象に出会っている。コスモス249、252、261号は1968年秋に打ち上げられたが、このとき、アメリカの追跡システムは合計106個の未確認物体をそれぞれの軌道上に発見している。
 地球軌道から消滅した5つのエクスプローラーのほかにも、1963年2月14日に打ち上げられた通信衛星シンコム1号が姿を消している。シンコム1号の軌道は近地点3万4030キロメートル、遠地点3万6800キロメートル、軌道傾斜角31度と計算されていた。このような正確な軌道計算にもかかわらず、シンコムは軌道上に発見できず、現在地も不明である。
 読者の中には疑問を抱く人もいるだろう。もし地球外から侵入した衛星が地球の軌道を回っているとしたら、なぜ地上から観測できないのか、と──。しかし現実には、軌道上で宇宙飛行士たちが確かめているのだ。
 一般に、夜空をかすかな星のような物体が移動していくのを誰かが見た場合、それは地球から打ち上げられた通常の人工衛星だと考えるだろう。仮に宇宙のどこかからやってきた衛星を目撃しても疑いは抱かず、地球の人工衛星以外の何ものかだとは思わないに違いない。
 もちろん例外はある。アマチュアの人工衛星観測家・追跡家が照合リストに記載されていない軌道に衛星を見つけることがある。このような場合、軌道が機密扱いになっているスパイ衛星か、使用ずみの補助ロケットなどの破片だと考えられることが多い。そのうちのいくつが地球外から侵入した衛星かということは分からないし、今後も決して解明されないだろう。
 アマチュア観測家が地球外衛星をつきとめた例がある。1963年10月24日の夜、スコットランド、クーパーファイフの12歳の少年が夜空を通過する星のような物体を観測した。北から南へと、飛行機くらいの速度で横切った物体。彼はその通過コースを星座とつき合わせながら慎重に地図に描きこんでアメリカ空軍のブルーブック計画に送った。この目撃報告は彼の年齢にもかかわらず重視され“未確認物体”としてリストに記録された。これは地球外から侵入した衛星ではなかろうか。
 ゴードン・クーパーがフェイス7号で最初の宇宙飛行を行ったのは1963年5月である。飛行予定が終わりに近づいた頃、オーストラリア上空で彼は緑色の発光体を目撃した。
 はじめ、彼は人工衛星を見たのだと思った。しかし、その物体は逆軌道、つまり地球の自転とは反対の方向に飛行していたのだ。地球の人工衛星で逆軌道をとるものは存在しない。というのは、逆軌道では地球の引力が強力なブレーキとなって軌道飛行の寿命が極端に短くなるためである。
 この目撃事件に関しては何の報道も行われなかった。
 1965年6月、ジェームズ・マクディビッドはエド・ホワイトとのジェミニ4号飛行の途中、合計3個の形状の異なるUFOを目撃したと報告している。UFO研究者なら、ハワイ上空で撮影された卵形の奇妙な物体群の写真を見たことがあるに違いない。
 しかし、マクディビッドはほかにも2つの物体を見ているのだ。飛行51時間目、彼はこう通信してきた。
「衛星を見た。非常に高く、地上からはるか遠くを通り過ぎて行く星を見ているようだ。通過する際、私はちょうど真上にいた。それは左から右の方へ……背中を西に向けていたから、つまり北から南へ向かっていたはずだ」
 この物体が何であったのかは未だに確認されていない。その辺の軌道にマクディビッドの目撃を混乱させるような人工衛星はなかったのである。彼はこの同じ飛行中、中国大陸の海岸上空でも星のような物体を見ている。これもまた確認はできなかった。
 地球を回る軌道に未だ未確認の物体が存在することは疑いのない事実である。アメリカの追跡システムも、また軍の防衛システムもそれらを捕らえている。ソ連など、ほかの国が不思議な物体の存在に気づいているということも大いにありうる。ただ、それらの物体がどこから、何の目的で来ているのか、という肝心の点が解明されていないのである。我々はこの疑問に対する答を今後も探し求めていかなければならない。

矢沢潔訳

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